2013年11月20日水曜日

Love and the Krafts - story-mode

 更新が止まっていた当ブログですが、友だちやお世話になっている先輩たちの作品を愛をこめて紹介していこうかな、と思います。内輪だ褒め合いだ慣れ合いだなんだと言わずにひとまずまあ音を聞いて、もし良かったら付け合せの拙文も読んでみてください。
 第一弾は、こちら。

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bandcamp

mona records
disk union

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「場違い」

あぁ友達なんかはちょっとでいいのだ
Love and the Kraftsの1stアルバム『story-mode』は、強がりというか負け惜しみというか、あるいは諦観というかやるせなさというか、イマイチ友達の輪に入り込めない/ノリきれない/馴染めない孤独感というか、それでもなお他者を必要としてしまう欲求不満というか、他者に近づこうとしたところで傷つけてしまう/傷つけられてしまう/傷つけあってしまうハリネズミのジレンマというか――そういうめんどくさいなんやかやを経験したり、あるいは予測したりしてしまった者がふと漏れ零す、時には叫び喚く言葉で幕を開ける。それも軽快極まりないオーセンティックなロックンロールにのせて。
 で、「あぁ友達なんかはちょっとでいいのだ」なーんて言ってしまう人間は何をするのかというと……
大学抜け出してレコード買い行こうぜ
そう、音楽を聞くのである。
僕らの生活に場違いなマディ・ウォーター
稼ごうぜ相棒 埋めようぜ何かしらを
友だちの少ない不真面目なこいつはおそらく、大学の授業(友だち少ないから代返はできない)をほっぽらかして新宿のディスクユニオンでレコードを漁るため、マディ・ウォーターズの“ローリン・ストーン”をiPodかなにかで聞きながら早稲田通りを東へ、高田馬場駅へと歩いている(いや、「東西線 山手線/新宿東口行け」と歌詞は続くのだから、早稲田駅から東西線に乗って高田馬場へと向かっているのだろうが、しかしここは早稲田通りを歩いている方が良いのだ。僕にはそういう情景が浮かぶから)。

 “早稲田通のローリンストーン”というこの曲で「僕らの生活に場違いな」と方便凌が歌っているとおり、そもそも録音された音楽を聞く行為というのは、今自分のいる時間と空間(場)とは別の時間と空間で記録された空気の振動を再生して享受するということに他ならない。「録音」――つまりレコード――が発明されたからこそ、この暇な大学生は東京から10000kmも離れたシカゴで60年前に録音されたマディ・ウォーターズの歌とギターを聞きながら「ああ、自分の生活には場違いな音楽だなあ」なんて悠長なことを思うことができるのだ。録音された音楽を聞くということは――もちろん予断や偏見や自分の耳の鼓膜といった様々なフィルターを通してではあるものの――純然たる他者――他人=人間だけでなくて、今自分のいるそれとは異なる場所や時間、モノやコト、思想等々もひっくるめて――とガツンと出会うことなんだ、と僕は思っているし、事実そうでしかありえないだろう(だから僕は他者を想像しえないナショナリストやレイシストには、本当に音楽を愛している人間はいないと思っている)。音楽を聞くことは最初から「場違い」なことなのである。

 などと大したことない内容をごちゃごちゃと書き連ねたけれど、つまり“早稲田通のローリンストーン”にちりばめられた「早稲田通」「東西線」「山手線」「新宿東口」「大隈講堂」などなどといったローカルな固有名詞がどうやって「僕らの生活に場違いなマディ・ウォーター」という別のローカリティに、果ては「銀河の終わり」にまで接続されるのか? っていうと、それはレコードやCDやMP3によってなんだ、などという当たり前のことが言いたいのだ。
 だからこそ、開口一番に「あぁ友達なんかはちょっとでいいのだ」なんて宣言してしまうこのナイーヴで非力に思える“早稲田通のローリンストーン”は大きくうねる力強いダイナミズムを持っているし、それを表現するためには軽妙でパワフルなロックンロールという音楽のフォーマットでなければならなかった。

物語のモード


「今、ここ」から別の場へのアクセス、ということに関して言えば、もちろんインターネットもそうだ。だから、“快適な夏、日本の夏”というインターネットについての皮肉めいたサイケデリック・ソングでは、
Cooler・Amazon・Via柿生
と、歌われている。柿生の自室からどこか他の場所へアクセスするには、そこを出て行くよりもインターネットの方が手っ取り早い。インターネットにはトリップ可能なサイケデリアが充満している。積極的逃避

 他者と出会う、ということにおいてはあらゆる物語もそうだ。歌詞や漫画やアニメや小説や映画に描かれた自律した物語は、けして自分のものではありえない。それは壁を隔てたどこかの誰かの物語である。『story-mode』の楽曲たちは、「都市の暮らしだ」なんて歌う“シチューを食べよう”から市川春子の『25時のバカンス』を題材にしたと思しき“バカンスへと”まで、それぞれ登場人物も季節も場所も曲調も異なっていて、それぞれがそれぞれに異なったモードの生活を送っている。だから、『氷菓』や『魔法少女まどか☆マギカ』の引用に垣間見えるアニメへの愛着というのも、Love and the Krafts、というより方便くんの物語志向と矛盾しない。

 季節――どういうわけか『story-mode』の曲はどれも季節を題材としてものが多い。“早稲田通のローリンストーン”には四季が出てくるし、フィドルをフィーチャーした軽快な“SATOYAMA LIFE”は春、“快適な夏、日本の夏”はもちろん夏、“夜間飛行”は「十五夜」だから秋、そしてセンチメンタルなレゲエ・クリスマス・ラップ・ソングの“彗星 feat. U.E.D”から“ローリンローリンお正月”と、『story-mode』は時計の針をぐんぐんと進めて四季を経巡るアルバムになっている。

 物語志向の『story-mode』において、“ローリンローリンお正月”は物語というよりもずっと身近なことを歌った曲だ。トランペットが力強く鳴り響く多幸感溢れるサウンドやラップのように詰め込まれた言葉も含めて、まるで小沢健二の“ラブリー”のように聞こえる。“ローリンローリンお正月”は間違いなくアルバムのハイライトだろう。
 歌詞の「ユニオン」「年越しセール」「僕らの年間ベストアルバム」なんて言葉は日本歌謡歌詞史において初めて使われるんじゃないか? そんなことまで思ってしまうほどにあまりにも身近すぎて他人ごととは思えない言葉が連ねられている。

 とまあ、とっちらかったことを未整理のまま書いたけれど、とにかく僕はこの『story-mode』というアルバムが大好きだ。sitigatuさんのイラストによるデジパックとブックレットはとても美しいし、マスタリングは中村宗一郎さん(!)だ。アグレッシヴで格好いいライヴ盤『Live at 新嘗祭 2012.11.18 Shibuya La.mama』との2枚組で1500円という思い切った値段設定もすごいなあと思う。

 最後に。Love and the Kraftsというバンドは、ローザ・ルクセンブルクがかなり道を踏み外したかのような、ひねくれた愛らしいロックンロール・バンドだと思っている。小林くんのパワフルで正確なドラミング、谷口くんのテクニカルで饒舌なロック・ギター、武井くんの粘っこくうねるベース、本望さんのユーモア(笑)、方便くんの湿っぽくセンチメンタルな言葉――確かな演奏力に裏打ちされたユニークで魅力的なバンドだ。『story-mode』は彼らの魅力がうまく凝縮されている。

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 ちなみに、“早稲田通のローリングストーン”“ローリンローリンお正月”と並んでベストだと思っているクラフツ・ソング、「Soft Bullet」のシングルもオススメです。

bandcamp

mona records